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2025.3.4

History of HORITA ④ 店舗展開

2008年になると、

良里(よしさと)が教員を定年退職後、

敏史(としふみ)が東京の証券会社を退職し入社。

 

役員が、家族4人の体制で、

店舗展開に少しずつ舵を切っていく。

 

店舗の作り方自体をより深く知るために、

全国の有名文具店に教えを請いに回り、

色んな知見のある方々から沢山の学びを得た。

 

経営理念を新たに作り・経営戦略を学び、

毎年、継続して「経営計画発表会」を開催し

社内外に発信し続けた。

 

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2009年、当時大願寺店は、

BtoB中心の店舗だったのに対して、

本格的に土日集客型のBtoCに舵を切る「花堂店」

 

2014年には、ホリタの知名度を

一気に上げることになる、日本海側最大の

300坪の文具売場面積を誇る「春江店」

 

2019年には、

フェミリーエンターテイメントを掲げて

品揃えをより子育て世代に舵を切った「鯖江店」

 

2020年には、2年連続の出店で、

初のショッピングセンターの店舗となる

「エルパ店」を開店した。

 

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この頃になると、

文具店としての知名度も一気に上がり、

年間70万人が来店するようなお店になった。

 

福井の方々に育てていただいたのだ。

 

当然のことながら、失敗も本当に多かった。

 

入札など価格競争が激化したBtoB事業「外商部」

(旧・納品部)は、属人化し、退職が相次ぎ、

縮小することになり、

 

「書店」「教科書販売」そして「商店街の文具店」は、

厳しい状況が続き、撤退せざるを得なくなった。

 

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そんな中でも、採用や育成には特に力を入れ続けた。

 

敏史が3代目に就任する2014年よりも前から、

「身近な田舎のディズニーランドを創る」と言い続け、

 

ホリタの目指すビジョンや

ホリタが良しとする哲学や価値観に共感した若者が、

県内外問わず多種多様な経歴から集まり始め、

 

そうして集まったクルーたちが、挑戦し続け、

会社に変革をもたらし続けてくれたことで、

今のホリタの礎を築くようになっていく。

(従業員のことをクルーと呼んでいる)

 

 

 

【History of HORITA ⑤】 に続く

2025.3.2

History of HORITA ③ 最大の転換期

2000年頃に、会社にとって存続の危機が訪れた。

 

「インターネットの普及」と

「初代社長利直の急死」である。

 

1990年代後半になるとインターネットが普及し始め、

文具業界全体に激震が走る。

文具通販サイト「アスクル」の存在だ。

 

従来の文具店の小売業と、消耗品配達事業の納品業、

両方の存在自体を脅かす、競合の出現だった。

 

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価格では到底勝てない。

このままでは会社を存続することすらできない。

 

全国の街の文具店は、

アスクルなど文具通販の「代理店」となるか、

店舗に付加価値を付けて売るか?

どちらに舵を切るか、選択に迫られた。

 

ホリタは、その当時、無謀と言われる大きな借金をして、

堀田家も蓄えを全て投じて、2000年8月に

「ホリタ文具・大願寺店」を開店し、生き残りをかけた。

 

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その3年後の2003年に、もう一つ大きな事件が起きる。

初代社長である利直が急死したのだ。

 

何の前触れもなく、準備もなく2代目社長となった恵美は、

日中は、市役所などの顧客を周り営業し、

大願寺の店舗と田原町商店街のお店の閉店作業をし、

 

夜は、今まで触れたことすらなかった

経営の勉強会や経営者との会食に参加し、

 

時間を見つけては、県外の文具店を視察に行く。

そんな慌ただしい日々で、365日休みなく働いた。

 

そしてその恵美の奮闘を、夫であり教師であった

良里(よしさと)と、長女・陽子が懸命にサポートした。

 

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この時に会社として大きな決断をして、

退路を絶って挑戦をし、事業を転換をしていったことが、

こんにちホリタが存続する、最も大きな要因となっている。

 

そしてこの時期、やることが何もかも初めての中で、

暗中模索した日々が、その後、

店舗を展開していくベースになったことは、間違いない。

 

【History of HORITA ④】 に続く

2025.2.26

History of HORITA ② 商店街の2つの店舗と納品部

商店街の文具店が商売として忙しくなってくると

喜代子の夫である、利直(としなお)は、

勤めていた国鉄(現在のJR)を辞めて、

営業や経理を手伝い始め、初代社長となる。

 

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利直は、非常に「厳格な人間」として、

取引先の中でも有名だった。

 

家では良くカッとなると「ちゃぶ台返し」するような

気性の粗い性格だったが、買う時は大量に買う・

買うと決めたら一切値切らないという豪快な性格。

 

情に熱く、頻繁に世話になっている

取引先担当者を家に招いて、もてなした。

 

そんな利直の「男気」や「気概」に触れて、

たくさんの取引先が利直の元を訪れた。

 

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「お客様のために」という部分は特に厳しかった。

 

お客様のためになっていない緩んだ行動をすると、

烈火の如く従業員や取引先を叱りつけた。

 

学校と取引をするようになり、電話で注文があると、

お客さんが急ぎで困っていらっしゃるからと、

自転車で10キロ以上離れた学校にまで、

急いで鉛筆1本を持って行くという徹底ぶりだった。

 

こうした一つ一つのひたむきな姿勢が評判を呼び、

小中学校の先生が、次に異動した赴任先でも

注文してくれるようになり、

 

福井市中の学校から一気に注文が集まり、

配達部門を担う「納品部」が大忙しとなった。

 

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そののち、文具と相性の良い本の取り扱いを始め、

道路の向かいに書店を開店し、学校の教科書販売も始めた。

 

堀田家は子供も含めて総出で、家業を手伝った。

 

卒業記念品や学童セットなど大量の注文が入ると、

夜中に全員で包装し、

 

近くの川が氾濫しそうになると

お店や倉庫の商品を夜通し2階に上げ、

 

人がいなければ、店番に立ち、閉店作業を手伝い、

 

夕飯の食卓では、毎日の売上を一喜一憂した。

 

堀田家全員が商売に関わって・

お店をきり盛りをしていったのだった。

 

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【History of HORITA ③】 に続く

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