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2025.3.2

History of HORITA ③ 最大の転換期

2000年頃に、会社にとって存続の危機が訪れた。

 

「インターネットの普及」と

「初代社長利直の急死」である。

 

1990年代後半になるとインターネットが普及し始め、

文具業界全体に激震が走る。

文具通販サイト「アスクル」の存在だ。

 

従来の文具店の小売業と、消耗品配達事業の納品業、

両方の存在自体を脅かす、競合の出現だった。

 

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価格では到底勝てない。

このままでは会社を存続することすらできない。

 

全国の街の文具店は、

アスクルなど文具通販の「代理店」となるか、

店舗に付加価値を付けて売るか?

どちらに舵を切るか、選択に迫られた。

 

ホリタは、その当時、無謀と言われる大きな借金をして、

堀田家も蓄えを全て投じて、2000年8月に

「ホリタ文具・大願寺店」を開店し、生き残りをかけた。

 

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その3年後の2003年に、もう一つ大きな事件が起きる。

初代社長である利直が急死したのだ。

 

何の前触れもなく、準備もなく2代目社長となった恵美は、

日中は、市役所などの顧客を周り営業し、

大願寺の店舗と田原町商店街のお店の閉店作業をし、

 

夜は、今まで触れたことすらなかった

経営の勉強会や経営者との会食に参加し、

 

時間を見つけては、県外の文具店を視察に行く。

そんな慌ただしい日々で、365日休みなく働いた。

 

そしてその恵美の奮闘を、夫であり教師であった

良里(よしさと)と、長女・陽子が懸命にサポートした。

 

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この時に会社として大きな決断をして、

退路を絶って挑戦をし、事業を転換をしていったことが、

こんにちホリタが存続する、最も大きな要因となっている。

 

そしてこの時期、やることが何もかも初めての中で、

暗中模索した日々が、その後、

店舗を展開していくベースになったことは、間違いない。

 

【History of HORITA ④】 に続く

2025.2.26

History of HORITA ② 商店街の2つの店舗と納品部

商店街の文具店が商売として忙しくなってくると

喜代子の夫である、利直(としなお)は、

勤めていた国鉄(現在のJR)を辞めて、

営業や経理を手伝い始め、初代社長となる。

 

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利直は、非常に「厳格な人間」として、

取引先の中でも有名だった。

 

家では良くカッとなると「ちゃぶ台返し」するような

気性の粗い性格だったが、買う時は大量に買う・

買うと決めたら一切値切らないという豪快な性格。

 

情に熱く、頻繁に世話になっている

取引先担当者を家に招いて、もてなした。

 

そんな利直の「男気」や「気概」に触れて、

たくさんの取引先が利直の元を訪れた。

 

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「お客様のために」という部分は特に厳しかった。

 

お客様のためになっていない緩んだ行動をすると、

烈火の如く従業員や取引先を叱りつけた。

 

学校と取引をするようになり、電話で注文があると、

お客さんが急ぎで困っていらっしゃるからと、

自転車で10キロ以上離れた学校にまで、

急いで鉛筆1本を持って行くという徹底ぶりだった。

 

こうした一つ一つのひたむきな姿勢が評判を呼び、

小中学校の先生が、次に異動した赴任先でも

注文してくれるようになり、

 

福井市中の学校から一気に注文が集まり、

配達部門を担う「納品部」が大忙しとなった。

 

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そののち、文具と相性の良い本の取り扱いを始め、

道路の向かいに書店を開店し、学校の教科書販売も始めた。

 

堀田家は子供も含めて総出で、家業を手伝った。

 

卒業記念品や学童セットなど大量の注文が入ると、

夜中に全員で包装し、

 

近くの川が氾濫しそうになると

お店や倉庫の商品を夜通し2階に上げ、

 

人がいなければ、店番に立ち、閉店作業を手伝い、

 

夕飯の食卓では、毎日の売上を一喜一憂した。

 

堀田家全員が商売に関わって・

お店をきり盛りをしていったのだった。

 

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【History of HORITA ③】 に続く

2025.2.24

History of HORITA ① 創業期

株式会社ホリタは、今年12月で75年を迎えます。

今まさに弊社は大きな転換期を迎えています。

 

前回の大きな転換期は、50周年だった25年前、

郊外型大型店「ホリタ文具・大願寺店」出店の時でした。

 

この節目の年に、転換期に、3代目として、

これだけは忘れず、受け継いでいかないといけない!

そういう歴史・精神・哲学など、大切にしてきたことを

改めて皆さんに共有できればと考えています。

 

ホリタを支えてくださった全ての方、

今もホリタを支えてくださっている方、

そしてこれから・将来ホリタに関わりたいと思っている方、

関わる全ての人々に、届けたい。

 

ここから5回に分けて紹介する

「History of HORITA〜ホリタの歴史〜」を皮切りに、

「Spirits of HORITA〜ホリタの精神〜」

「Compass of HORITA〜ホリタの進む方向〜」など、

順次、紹介していきます。

 

        株式会社ホリタ 3代目社長 堀田敏史

 

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History of HORITA①  創業期

 

1950年(昭和25年)12月「堀田文具店」は福井県福井市、

田原町商店街にある自宅の一角で細々と開業した。

 

当時は、今と違い漢字の「堀田文具店」であった。

※2000年以降、屋号を「ホリタ文具」とカタカナに変更

 

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※写真は創業当時(右上/利直・左下/喜代子)

 

第二次世界大戦の終戦から5年・

福井大震災から2年後のことである。

 

福井市の田原町商店街は、

学校が集まる「文教」エリアではあったが、

福井市の中心であるフェニックス通り沿いは、

創業当時、戦争と震災によって更地状態。

 

何もかもが一からのスタートだった。

 

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※写真は、福井の中心であった「フェニックス通り」

 

堀田利直(としなお)とその妻・喜代子(きよこ)は、

長女・恵美(その後、二代目社長)が生まれたばかりで、

生きるために必死だった。

 

福井市日之出で少し先に文具店を営み始めていた

利直の親戚のすすめで、生計を立てるために、

喜代子が文具を扱い、販売を始めた。

 

これがホリタの始まりだ。

 

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喜代子は、鯖江・柳町に昔から続く「番傘屋」の娘で、

商売の基礎は実家で叩き込まれていた。

 

3人の子供たちを育てながら、

店頭に立ち、お店を切り盛りをしていくと、

街ゆく人たちの中で、常連客が少しずつ増えていった。

 

上お得意様となると、

見えなくなるまで深々と頭を下げ続けた喜代子。

 

その誠実で、まごころこもった接客には定評があり、

いつしか商店街の名物となった。

 

※喜代子は、後に、商店街の店が閉店する2016年まで

66年間、お店に立ち続けることになる。

 

【History of HORITA ②】 に続く

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